第10冊目 『ビアフラ物語―飢えと血と死の淵から (1982年)』

 先週末でやっと読了した。今日の書評は、フレデリック・フォーサイスの唯一のノンフィクションであり、1967年から1970年にかけてナイジェリアで現実に起こった内戦「ビアフラ戦争」をテーマとした『ビアフラ物語』である。
 まず、この本自体の話だが、この本はレアである。どうやら新品ではもう入手不可能なようだ。私はアマゾンで中古本を購入したが、中古ですら2、3冊しかもう出店されていない。いずれ完全入手不可能になるような気もする。ちなみに表紙はこのような構図だ。

 しかし、今後プレミアが付くとしても、私が今回入手したこの本はもう価値はゼロだ。というのも鞄の中で本の角がボロボロになったし、文中はアンダーラインだらけだからだ。
 だが、そんなことはどうでもいい。この本の市場価値がいくらでも、私の本棚の中での価値は終生高止まりだろうから。
 そのくらいリッチネスの高い情報が詰まった本だった。

 著者のフレデリック・フォーサイスは、ジャーナリストとしてビアフラ戦争を取材し、第三者視点で戦争の発端から経緯を本書内に叙述している。これだけだと、ある意味普通のジャーナリストと一緒だ。しかしフォーサイスが特異な点は、彼がビアフラ戦争中、ビアフラ軍やまたビアフラ側のコマンドに同行取材し、現場で見聞したことも本書内で詳述していることだ。実際彼は、本書の原稿を戦争進攻中の1969年にビアフラの街・ウムアヒア市の道端の小型バンの中で書いたと言っている。なぜもっと安全なホテル等の施設に避難しなかったかは謎だが、それでも戦闘の最前線で死屍累々の現場の描写は彼でしかできないものだろう。
 一方で、他のビアフラ関連書籍の著者も指摘するように、フォーサイスはビアフラ側に立った取材が中心なので、その論調がビアフラよりであることは否めない。
 だが、本書を読了して思うのは、フォーサイス自身、そのことを認識している気がする。私の勝手な予想だが、彼は、できるだけ記述の客観性を守りながらも、ビアフラ側の人間からビアフラ戦争がどのように映っていたのかを率直に伝えることに重点を置いたのではないか。恐らく、それが取材を通じて親交を深めたビアフラの人々に対する彼なりの矜持なのだろう。
 得てして、歴史は勝者がつくるものであり、敗者であるビアフラ側から歴史は無視される傾向は、今後も続くだろう。「敗者側からの歴史を語った」という意味でも本書は高い価値があると私は思う。フォーサイスも、もともとそのような意図があったようだ。文中に垣間見れる。

 具体的な内容だが、このビアフラ戦争の一大詳述を要約するのは難しい(ビアフラ戦争の概略については、私の以前の書評(第5冊目 『ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国』 - YOSHIHISA YAMADA’s Blog / 山田義久Blog)を参考にしてほしい)。

 内容は膨大で多岐にわたるが、ビアフラ戦争に対する本書全体を通したフォーサイス自身の主張は、明確な点が多い。
 まずビアフラ戦争が起こった起源について、彼は"部族間の対立"と明言する。以下抜粋だ。

 根本的なそれは、この巨大な人工国家に内在していた部族間の対立そのものであった。畢竟するところ、ナイジェリアは、ヨーロッパの一強国の利益のために、無理をおかして本来融和しえない諸部族をひとつに押し固めて造られた合成体以外の何もでもなかったのである。(本書18p)

 そして、ビアフラ戦争の大きな特徴である150万人もの被害者を生んだ飢餓について、彼は、ナイジェリア軍の戦争政策として飢餓が用いられ、イギリスの兵器提供を中心とした援助がそれを可能にした、と断言する。以下抜粋だ。

 ビアフラ人たちの飢えは偶然の事故でもなければ不運でもないし、戦争につきものの憂うべき副産物でもない、それはナイジェリアの戦争政策の不可分の一部として意図的に遂行されたものなのである。(本書262p)

 そしてその証拠として、フォーサイスは、戦時中に行われたナイジェリアとビアフラとの講和交渉の中で、ナイジェリアの代表が述べた言葉を複数回引用する。下はある交渉でナイジェリア政府高官が明言した言葉だ。

 「飢えは戦争の合法的な武器であり、われわれはそれを叛徒に対して用いることを躊躇しない」(本書357p)

 本書全体を通じて、"飢餓"という手段で非武装の一般市民まで死に追い込む戦略をとり続けたナイジェリア政府、また、その戦略を間接的に支援し続けたイギリス政府に対するフォーサイスの強い憤りを感じとれる。特に本書後半では、当時のイギリスの政治家の多くが、いかにこの問題に盲目、怠慢だったかを詳述し、また飢餓を戦争手段にし続けるために、他国からのビアフラに対する人道的支援をあらゆる手で阻害するナイジェリア政府の手口を糾弾している。

 つまり、フォーサイスの主張の肝要は、ビアフラ地域の国としての独立、また"国"としてでなくても何らかの政治的単位での独立(連邦等)は、ナイジェリアの民族構成上必要であったにも関わらず、その政治的独立の動きをすべて力で根こそぎ鎮圧しようとしたナイジェリア政府の手口と、そのバックにいたイギリス政府に対する強い批判なのである。
 その主張を軸に、約400頁もの紙面に、ビアフラ戦争で実際に起こったこと、また自分の目で見てきたものを記述しているのが本書なのだ。
 一読者の立場から率直に言って、ビアフラ戦争に対して偶然強い興味を持つか、何らかの必要性に迫られるかしない限り、本書を読破するのは中々大変だろうが、戦争というものがどういうものなのかも学べる良書だと思うので、興味が湧いた方には一読を勧めたい。

 下記、本書内で個人的に私が興味を持った点を列挙していきたい。
 第一に、ビアフラを構成するイボ人についてである。
 ビアフラを中心地とするイボ人の特徴は、勤勉で教育熱心で進歩的とされている。「いかなる条件もこの世では永久不変ではありえない」という金言を信じ、貧困や後進性も神から与えられた自分の才能に対する挑戦と看做す。また企業家精神に溢れる人も多い。またその商才が妬みを買い、各地で迫害を加えられることが多いこともあり、「アフリカのユダヤ人」と称されるらしい。
 総じて知的レベルが高い人が多く、統治能力に優れ、ビアフラの地にいた他の少数民族の信頼を勝ち取るに至っていたようだ。
 イボ人は精神面でも勇敢であり、今回のビアフラ戦争では、圧倒的な武力、戦力を誇るナイジェリア政府軍に対してビアフラ共和国軍は圧倒的劣勢を少数民族も含めた連合で迎え撃ち、時に五分以上の戦いをした。
 ビアフラに雇われた南アフリカ出身の傭兵タフィ・ウィリアムズの言が紹介されているので、抜粋する。

 「これまで戦場でいろんなアフリカ人を見てきたが、ビアフラ人にかなうやつはいない。連中を一万人、半年間あずけてくれたら、この大陸で無敵の部隊をつくりあげてみせるよ。戦死していった連中も多いが、これがどこかの国だったら、ビクトリア十字勲章でももらえるようなやつばかりだった。まったく、いい喧嘩師がいたよ」(156p

 自国の地を守るために戦い抜く姿勢は、確かに中東戦争を戦い抜いたイスラエルに似ている。4つの戦争を戦い抜き独立を維持しているイスラエルと、地図からも消滅してしまったビアフラ。仮に両民族が似ている資質を持っていたとしても、その運命は間逆を辿る。

 第二に、各種戦闘描写である。
 フォーサイスはさすが従軍記者経験が多いだけあって、各種戦闘の描写、戦略・戦術の解説、各種武器、戦闘機の説明は、極めて詳細だ。兵器マニアの方は本書を読んで痺れるかもしれない。
 そもそもビアフラ軍は、ナイジェリア政府軍に対して数字の面で圧倒的に劣勢である。よって真正面から戦っては勝てない。そこで、ビアフラ軍とビアフラ軍に雇われた白人傭兵達は戦略、戦術を工夫して劣勢を挽回しようと知恵を絞る。その一環で、中東戦争でのシャロンの有名な戦略、つまり攻撃を受けながら敵陣本体の背後に回り敵陣の本丸を突くという戦術も用いられたようだ。シュタイナー等白人傭兵率いるコマンドー部隊の奇襲作戦の内容も詳述されている。
 その他戦闘に登場する武器、戦闘機としては、既出のカラシニコフに加え、LRACバズーカ、サラディン装甲車、フェレット装甲偵察車、迫撃砲、野砲、重機関銃、MFIミニコン、ハーバード、ミーティア、ジェット戦闘機、フリゲート機、ドルニエ練習機、パナール装甲車、RK49短機関銃、ミグ戦闘機、イリュ―シン戦闘機、レシプロエンジン輸送機、ダコタ型輸送機、スホーイ夜間戦闘機コンステレーション輸送機等々、私にはgoogleで調らべなければ全くイメージも湧かないものばかりであった。
 特に私が戦慄を覚えたのは、"オグブニグエ"なるビアフラ兵達(恐らく白人傭兵が中心となって)が発明した爆弾である。これは記述を読んでももう少しイメージが湧かないのだが、その成果は「ナイジェリア兵がトウモロコシのようになぎ倒された」とあるので凄まじいものだったのだろう。以下、その爆弾に関する記述である。

 これは、細くなった頭部にダイナマイトを装備した四角錐で、広い胴体部にはボールベアリング、釘、小石、屑鉄、金属片などを詰め込んである。これの頂部を、ショックを和らげるために木の幹などにもたせ、ベニア板でふさいだ基部のラッパ型の開口部を、進んでくる敵兵のほうに向けておくのだ。起爆は有線でおこなうが、操作をする者はかなり離れたところに身を隠していなくてはいけない。オグブニグエが爆発すると、前方90度の扇型に破片が飛び散る。有効殺傷距離は200ヤード(約180m)。この恐るべき仕掛けを至近距離で爆発させると、一個中隊(100名以上)を一度に全滅させることができ、敵の攻撃をその分だけ阻止できる。(187p) 

 このような手製の爆弾も含めてビアフラ軍は戦闘を戦い抜いた。著者が現地同行取材しているだけあり、描写は極めてリアルだ。
 その他戦闘描写全体を通じて著者が表現する戦争に悲惨さについて、文中から迫り来る臨場感は凄まじいものがあった。

 第三に、飢餓の現場描写である。
 以前の書評でも述べたが、ビアフラ戦争中は、ナイジェリア軍はビアフラの四方を圧倒的兵力で方位し、食料等物資の通常流通を堰きとめた。これは、方位内の民衆を飢餓状態に陥らせて戦争を有利に運ぶためだ。上記したが、ナイジェリア軍の戦争手段として飢餓が用いられたのだ。
 しかし、ある地域で飢餓が起こる場合、一番の被害を受けるのは戦場の兵士ではない。それは成長期にある子供達だ。
 ビアフラの地は、肥沃な地である。よって、基本的に炭水化物や果物は自作しており、基本的な自給自作体制は整っていた。
 しかし、肉類は北部ナイジェリアの牧草地域から大量に買い入れ、干魚や塩をスカンジナビアから輸入していた。肉や魚は蛋白質源であり、ビアフラは蛋白質源を外部に依存していたのだ。ビアフラ内にも山羊や鶏等の蛋白質源はあったが、全人口を賄うには足りなかった。
 そして、戦争が始まりナイジェリア政府軍がビアフラの四方を封鎖することにより、それら蛋白質の輸入が途絶えてしまう。そして、ビアフラは地域全体で蛋白質枯渇状態になった。
 結果どうなったか。成人は蛋白質を摂取できなくても長時間健康を保てるが、子供は常に必要量を確保しなければ生きていけない。飢餓は子供達を直撃した。
 しかも、他の地域に散らばっていたビアフラ出身者達が難民として大量に流入し、貯蓄も急速に枯渇していく。国内の飢餓状態は加速していった。
 そして、ビアフラ内の多くの子供達はクワシオルコルという病気に罹っていく。アフリカ語で「赤い身体」という意味のこの病気は、蛋白質の欠乏からくる病気で、主に子供がかかる。症状としては、髪が赤くなり、皮膚は青味を帯び、関節が腫れ、筋肉は水分過剰でふくれあがる。飢えによる症状の中で一番悲惨とされ、脳細胞をやられて無感覚状態になり、昏睡状態をへて、最終的には死に至る。
 正確な数字はわからないが、このクワシオルコルにより何10万という子供達が死に追いやられた。
 このクワシオルコルで苦しむ子供達の写真は各国新聞で取りだたされ、当時の先進国民に大きな衝撃を与えた。私の手元にもその子供達の写真があるが、正視に耐えない。
 その報道を受け、当時の人々もただ指を咥えていたわけではない。赤十字を中心とする国際機関や世界各国の有志達がビアフラの子供達を救済すべく各種食糧援助に動いた。
 しかし、ビアフラを封鎖しているナイジェリア軍は、戦争手段として飢餓を利用しているので、援助を受けてビアフラ国内から飢餓をなくすわけにはいかない。よって、あらゆる手段を用いて援助を邪魔する。
 フォーサイスは、その援助を邪魔したナイジェリア政府、また援助が行き届かない状態を放置しておいたイギリスをはじめとする各国政府を強く糾弾している。本書内で彼は、各国政府の対応がどのようなものだったのか詳述しているのだが、その文中から彼の絶望と怒りが伝わってくる。

 第四に、コンゴに関する記述である。
 これは、私の個人的興味なのだが、この"空想アフリカ旅行"の今後の展開に重要なキーワードなので読書中、コンゴという言葉の登場に注視していた。案の定、ビアフラ戦争の詳述が本旨である本書内に"コンゴ"との関連事項が散見された。ビアフラ戦争とコンゴ動乱はリンクしているのだ。
 例えば、ビアフラの指導者オジュクの経歴を紹介する箇所があるが、彼はまだナイジェリア軍で勤務していた頃、コンゴ動乱の真っ只中同国に駐留し、経験を積んだようだ。また、ビアフラ戦争で多くの白人傭兵が雇われたのも、コンゴ動乱における白人傭兵の働きが目覚ましかったからであるようだ。
 さらに、"あとがき"で訳者は、ビアフラ戦争はコンゴ内乱のリフレインと言い切っている。コンゴ動乱(内乱)は、同国のカタンガ州の分離独立問題を巡っての内乱なのだが、"独立勢力が圧倒的な力で押しつぶされた"という意味ではビアフラ戦争とコンゴ動乱は同じと訳者は指摘する。
 コンゴに対する私の興味は前回の書評でも述べたが、ビアフラ戦争からの視点でもコンゴという国と"コンゴ動乱"というキーワードで繋がった。
 よって今後は、この"空想アフリカ旅行"の行き先は、コンゴに移って行こうと思う。正直、まだビアフラ戦争関連の書籍や写真集は入手しているのだが、残りはまた適宜紹介したい。
 次回は、しかしコンゴ動乱等をいきなり紹介するのではなく、戦争等歴史的重みがある出来事から一端離れて、コンゴが誇るその大自然を紹介してみたい。
 あるイギリス人が、恐竜の生き残りと言われるモケーレ・ムベンベを求めて、コンゴの密林を探検した時の旅行記だ。現地の自然についての描写が多く、アフリカの魅力を余すことなく伝えてくれる。日本に住んでいるだけでは想像できない自然の驚異がそこにある。次回、乞うご期待だ。

 最後に、ビアフラ戦争の最後を紹介したい。
 ちなみに本書の中心は戦時中に書かれているため、戦争終期の記述は少ない。ビアフラ共和国崩壊の様子は、エピローグに書かれている。
 1970年1月の第2週、ビアフラ共和国側の戦線は急速に崩壊していく。何週間も食事していない兵士達は、もはや闘う気力も体力も尽きてしまったのだ。戦線の兵士達が静かに軍服を脱いでジャングルに消えて行った。そして、崩壊した戦線を通り抜け、ナイジェリア軍がビアフラ中心地に侵攻していった。ビアフラ最後の瞬間である。
 1月10日、ビアフラの最高指導者オジュク将軍は最後の閣議を開く。そこでオジュクは自分の処遇について閣僚達に意見を聞く。留まって戦い抜くか、または国外逃亡して再起を謀るかの選択であった。そこで、閣僚達は一様にオジュク将軍に逃亡を促す。このまま残って、彼がこのままジャングルで犬死するより、ビアフラ人の誇りとともにこの地から脱出してくれることを閣僚は望んだのだ。
 そしてその日の夜、オジュク将軍は南部戦線で殷々と轟くナイジェリア軍の砲声を聞きながら、国内のウリ空港に向かう。その空港からビアフラ軍のスーパーコンステレーション機でコートジボアールに亡命する。
 第5冊目『ビアフラ戦争』の冒頭で紹介したフォーサイスの小説『戦争の犬たち』の場面は、まさにウリ空港におけるこの瞬間を描いているのだ。

 亡命後のオジュク将軍であるが、裕福なはずの彼はビアフラのために全財産を捧げたため、コートジボアールに亡命時は100ドルしか手元になかったらしい。
 しかし、彼はコートジボアールで友人から借金してトラック2台で運送業をはじめる。元々ある商才と彼の人望により事業は成長し、1975年の終わりには運輸、建設、砂利採取及び販売等の会社を傘下に持つ一大コンツェルンを築き上げる。
 そのコンツェルンを築き上げるまでほぼ6年間であるが、その期間、ナイジェリアよりオジュクを慕ってイボ族や東側の少数民族の人々が次々に彼の下に集う。
 一方、ナイジェリア政府は、国内に残るオジュクのカリスマを排除するために関係者を探し出し、処罰しようとするが徒労に終わる。
 逆に、オルバ族等イボ族以外の人達の中にも、国内で無くならない政治腐敗に嫌気がさし、逆にオジュク政権が持っていた洗練さを懐かしみ、敵であるはずの彼を亡命先に訪ねることもあったという。 
 その後、1982年にオジュクはナイジェリア政府と和解し、帰国した。昔ながらの影響力は今はないようだが、大統領選挙に立候補したりその後も政治活動を続けている。

 3年間の寿命しかなく、今は地図にも教科書にもない幻の国、ビアフラ共和国。
 しかし今まで紹介してきたようにその3年の中にも凝縮された数々の人間ドラマがあったのだ。
 最後に、そんなビアフラ共和国に敬意を表して、1967年5月30日に発表された「独立宣言」を抜粋し、本書評を終わりにしたい。

 同胞の男性、そして女性、あなたがた、東ナイジェリアの人民―――、
 意識されよ、すべての人類に対する全能の神の至高の権威を、あなたがた自身と繁栄に対する責任を。
 留意されよ、あなたがたの生命、財産は東ナイジェリア以外の地に拠って立ついかなる政府によってももはや守られ得ないということを。
 信じたまえ、あなたがたは生まれながらにして自由であり、あなたがた自身によってのみ最もよく保持しうる固有の権利をあたえられているということを。
 心したまえ、政治的また経済的性格の協力関係を他国と結ぶに際しては、己の自由な意思を曲げることのないよう。
 拒否したまえ、東ナイジェリア軍事政府以外のいかなる個人あるいは個人の集まりからなる権力が、いかなる種類、性格のものであれ、あなたがたに重荷を強いようとも。
 心を固めたまえ、あなたがたと前ナイジェリア連邦共和国との間に存する、すべての政治的その他の結びつきを断つことを。
 心を備えたまえ、前ナイジェリア連邦共和国領内のいかなる主権州または他の諸国と、いかなる協約、条約、同盟を結ぶに際しても、あなたがた共通の利益に資するような諸条件に立つべきなりと。
 あなたがたの信頼と期待を、わたしはここに確認する。
 あなたがたは、あなたがたにかわり、あなたがたの名において、東ナイジェリアが独立主権の共和国であることを宣言するようわたしに委託された。
 よって、わたくし、陸軍中佐チュクエメカ・オドゥメグ・オジュク、東ナイジェリア軍政長官は、その権威により、そして右に述べた諸原則に従い、ここにおごそかに宣言する。従来東ナイジェリアとして知られ、かつそう呼称されてきた全地域は、その大陸棚および領海とともに、これより、"ビアフラ共和国"なる国名、国号をもつ独立国家となる。
 (本書135p)

[参考資料]
You Tubeにビアフラに関するドキュメンタリー(英語)があったので、下記アップする。戦争中の映像をはじめ、フォーサイス、オジュク本人のインタビューもある。