第8冊目 『アフリカ 苦悩する大陸』

アフリカ 苦悩する大陸

アフリカ 苦悩する大陸

 前回に続き、「ビアフラ戦争」のテーマからは脱線し、アフリカ全体を鳥瞰する旅を続けよう。 
 アフリカ大陸には多様な国がある。「貧困」等、世界的インパクトがあるテーマを共通して持つ国が多数あるので、何やら均質な国の集合体のような印象を受ける時もあるが、実態は、広大な大自然を舞台に、異なる民族、宗教、文化、歴史的背景を抱える国が犇いている。
 ただ、多くの国の国境は、植民地時代に当地を圧倒的な武力で支配していた列強の力関係のみで引かれたものである。よって、文化や民族的差異をまったく考慮せず、多くの民族を一つの国に詰め込んでいるケースも多数ある。今、取り上げているナイジェリアはその典型であり、紛争をより複雑にしている(ただ、民族の多様性が紛争の最大の原因かと言えば、そうとは言い切れない。これについては下記に論じる)。
 本書も基本的にそのようなスタンスを持つ著者によって書かれている。下記、著者の弁である。

 一口にアフリカ人と言っても一人ひとりはみな違う。文化も多様だ―エチオピア人とナイジェリア人は、韓国人とイタリア人ほど違っている。(本書「まえがき」より)

 筆者は、本書の中で、アフリカの多くの国が貧しいのはなぜか、そして、それらの国々がどうすれば豊かになれるのか、数のアフリカの国(主にサハラ以南)を取り上げながら論じていく。
 一方、アフリカが貧しい理由についての著者の結論は、"まえがき"で明言されている。それは、政府に問題があるからと喝破する。そしてこれがこの本の議論の核心と著者は設定している。
 著者は、経済誌「英国エコノミスト」のアフリカ担当編集長として、南アフリカを拠点に7年に渡りアフリカを取材した経験を有する。
 その長い現地取材を通じて、多くの国で、私服を肥やす政治家、賄賂を要求する官僚、警察等、腐敗した政府関係者を見てきた。それと同時に、その結果として虐げられている多くの国民を見てきた。そのような多くの腐敗した国で一番の金持ちは誰か。それは、大統領なのだ。
 つまり、手っ取り早く金持ちになる手段が権力なのだ。よって人々は権力を求めて戦う。これがアフリカで多発する内戦の大きな原因と著者は言う。
 さらに石油、ダイヤモンド等アフリカの大地に眠る天然資源が巨大な利権を構成する。全国民を動員し長期的な視点で国内経済を育成するより、ダイヤモンド鉱山の所有権を押さえてしまい、その採掘権を先進国企業に数百億ドルで売り渡した方が手っ取り早く金持ちになれるのだ。
 その結果、国民が貧窮しようとその利権を有する者(多くの場合政治家)にとっては、知ったことじゃない。
 なぜなら、国境線は他の国が勝手に決めたので、誰が「国民」かも自分の国が決めたものでないからだ。同じ「国民」として、自分とはあまり関係ない部族や、敵対する部族が入っていたりする。最低自分の出身部族さえ優遇しておけば地位は安泰だし、そうすることが、逆に部族間では"美徳"とされたりする。
 一度利権を握った権力者は、自分の利権を手放すことがないように、多くの場合独裁者となる。国軍を掌握し、武力を背景に反対する者を粛清する。そして国の富は搾取され続け、独裁者周辺の人間のみに分配される。
 また、政治的手段で利権が分配されることはないので、力のある集団はその力で利権を奪いに来たり、絶望した国民が武装蜂起したり、と内戦がさらに頻発する。
 そして、貧富の差は縮まることなく、国民の生活がさらに貧窮していく…
 これがアフリカの多くの国で起こっていることなのだ。

 本書では、このような"悪しきモデル"を踏まえ、各国事情を詳述していく。取り上げられる国は十数国に渡り、ルワンダ南アフリカジンバブエ等、最近各種メディアで取り上げられることが多い国々から、当ブログで取り上げたビアフラまで、アフリカの話題について多岐に渡る。

 ここで、本書で取り上げられている膨大なトピックの中から、当書評において、特に何を選別するか問題になる。
 そこで、当書評では、これからの"アフリカ紀行"での次の行き先を鑑みたトピックを本書からピックアップしたい。
 実は、私は次の行き先の一つに"コンゴ"と考えている。
 私の個人的体験だが、学生時代に購読して総合誌"フォーサイト"(新潮社)に衝撃的な記事があったことを覚えている。正直うろ覚えなのだが、その記事には何と"アフリカには第三次世界大戦が起こっている(…起こっていた?)。ダイヤモンドがうんぬん…その戦場となっている国に、周辺諸国が派兵してうんぬん…"と。そして記事上に記載されていた地図が戦場として示していた場所が確か…コンゴの位置だったと、今思う。
 時は流れに流れ、今回のアフリカ紀行で取り上げた『戦争の犬たち』にコンゴにおける内戦で活躍した傭兵が登場し、"コンゴ動乱"の壮絶な戦場の描写も見た。コンゴは、西ヨーロッパの3分の2程がすっぽり入る広大な大地(日本の6倍)に、日本の半分程の人しかいない。しかし、金、コバルト、ダイヤモンド等天然資源が豊富だ。揉め事が起きないはずがない。実際にいくつも内戦を経験し、モブツ・セセ・セコという独裁者も生んだ。
 しかし、一方でコンゴはその広大な大地に、人知の及ばない自然が現存し、野生の動物と植物の宝庫である。そして今も尚、多くの冒険者を魅了してやまないことを知った。
 このように、このアフリカ紀行の中でコンゴの断片とその多様性に触れたことが、私の10年前のフォーサイトの記事を追憶させた。そして、それがコンゴに対する強い興味の発火点となったのだ。
 ここで一点注意したい。
 実は"コンゴ"と名の付く国は2つあり、コンゴ共和国コンゴ民主共和国と両国は隣接するが、別の国である。しかし、両国が分かれたのは、宗主国フランスとベルギーの都合であり、以前は両国とアンゴラを合わせて"コンゴ王国"だったので、あえて"コンゴ"と一括りにしてみた。しかし、以下厳密に区別しよう。

 本書では94年から発生したコンゴ民主共和国(以下:コンゴ)での資源を巡る戦争を取り上げる(この戦争は、"コンゴ動乱"ではない)。ルワンダの大虐殺の余波で始まった戦争だが、周辺諸国間の資源強奪合戦に発展した。 
 この戦争が、まさに私がフォーサイトの中で読んだ戦争であることを、読了した今、確信している。
 下記、本書を元に簡潔に紹介しよう。
 上記の通り、コンゴ民主共和国は西ヨーロッパの3分の2ほどの広大な国土に、わずか5000万人程しか住んでいない。
 しかし、19世紀からベルギーが象牙とゴムを目的に植民地支配し、1960年に独立。独立後まもなくジョセフ・デジレ・モブツ(後のモブツ・セセ・セコ)が実権を握り、その後約40年間独裁を強いた。モブツは独裁政治を通じて、国の富を自分に集中させ、国民経済は停滞した。
 よって、インフラも未発達であり、広大な地域間のコミュニケーションが整備されておらず、未だに電話も殆ど通じないらしい。植民地時代にある程度整備されていた幹線道路も今では低い木に覆われているらしい。
 首都キンシャサ中央政府は、とっくの昔に地方の支配権を失っているのだ。そして広大な無法地帯が熱帯雨林に広がっている。 
 そして1994年、隣国ルワンダフツ族政権が音頭を取り、それに扇動されたフツ族民衆が、それまで共存していたツチ族を大虐殺した。約100万人と言われる犠牲者を出した凄惨な事件だったが、映画『ホテル・ルワンダ』で描かれたように、自分が運営するホテルにツチ族難民を匿った支配人(フツ族)の美談が生まれたりした。

 映画は、隣国ウガンダに支援された反政府組織:ルワンダ愛国戦線(RPF)が攻め込んで来て、主人公達は助かるという場面で終わるのだが、現実はここでは終わらない。
 RPFが国内に進攻し、ルワンダを制圧。ツチ族が主導する新政権を樹立する。そして敗走したフツ族過激分子が向かった先が隣国コンゴの密林なのだ。そしてフツ族氾濫分子は機を見て越境し、ルワンダに攻撃を加える。つまり内乱は終わっていなかった。しかも当時コンゴを支配していた独裁者モブツはフツ族の過激分子に武器を与え、内戦を煽った。
 そこで、ルワンダ政府は過激分子の壊滅を決断し、彼らが潜むコンゴ東部に軍隊を進攻させる。進攻は成功した。そして、ルワンダ政府はこの機に乗じて、現ルワンダ政権に敵対的なモブツ政権を転覆させる野望を抱く。
 その作戦にはウガンダも支援を約束し、ルワンダ政府はモブツ打倒後、政権を任せる人物、ローラン・カビラも準備した。カビラは、コンゴのゲリラのリーダーであるが若干胡散臭い経歴を有する人物だ。
 そしてルワンダ軍とカビラのゲリラ部隊は、コンゴの首都キンシャサに進攻した。何と進攻中抵抗を受けることなく、一隊は1997年5月キンシャサに到着した。
 しかも、キンシャサの民衆はカビラ達を歓迎した。その前のモブツの独裁が余りに酷すぎたので、新政権になれば、ちょっとはマシだろうと民衆は期待したのだ。
 しかし、カビラはモブツより最悪だったのだ。
 カビラの悪行としては、約束した選挙を実施しない、反対勢力は投獄、拷問、公示もしていな法を根拠に事業者に罰金、見境ない紙幣の乱発等、その失政は枚挙に暇がない。
 そして、カビラは自分の支援者であったルワンダをも裏切ってしまう。ルワンダ政府の敵、フツ族民兵と手を組んだのだ。
 当然、ルワンダ政府は激昂し、今度はカビラを打倒することを決定する。行動は迅速だった。ソ連製輸送機を使い2000キロのジャングルを越えて部隊を派遣、水力発電所等の中枢機能を電撃的に抑えた。そして首都陥落も秒読みと思えた。
 しかしここで事態は大きく展開する。ジンバブエアンゴラナミビアが戦闘爆撃機や訓練された部隊を送り込んできたのだ。この援軍によりルワンダ軍と反乱軍は撃退され四散し、密林の中に隠れた。
 そして、規律のないコンゴ軍は掃討を担当したため、再びツチ族に対する虐殺が発生したのだ。外見からツチ族であるかなど客観的に判断できる要素はないので、多くの暴虐が繰り返されたようだ。
 このように内戦が激化するにつれて、何故かナミビア、チャド、ブルンジスーダン等も各自の思惑に基づいて派兵し、コンゴを舞台に"世界大戦"が起こったのだ。この戦争をレポートしたのが、私が読んだフォーサイトの記事だったのだ。
 この戦争は1999年にザンビアの首都ルサカで平和協定が結ばれるまで続くが、戦闘はそこでまったく終わらなかった。
 なぜか。
 そもそも、そのような多くの国がなぜコンゴに派兵したのか。それには、"自分と同じ起源を有する民族の同胞を守る"等の高尚な理念もないとは言えないが、実際はもっと現実的な理由が行動原理となっていたようだ。
 それはコンゴの天然資源の利権である。
 コンゴに派兵した国々は、各々が進出したコンゴの地の利権を押さえていった。コンゴ東部では、ルワンダウガンダの軍がダイヤモンドやコバルトを彫り、木を伐採し、象牙を採取していた。またアンゴラコンゴ政府とジョイントベンチャーを立ち上げ、石油利権を押さえ、ジンバブエ軍はコンゴ中部にあるダイヤモンドの採掘権を得た。
 得てして盗人は仲間割れを起こすものだ。実際に2000年にはコンゴ北東部での利権を巡って、同盟国であるはずのルワンダウガンダが軍事衝突している。
 このように参戦した国の政府が、強奪した利権に基づき事業展開する一方で、一般の兵士達は支給される食料で足りない分をコンゴの村々を略奪した。そうして、コンゴ戦争は最初の4年間に、飢えと病気により200万人の死者を出した。ルワンダ大虐殺の被害者が約100万人と言われているので、何とその倍もの被害者を出したことになる。この被害者はビアフラ戦争の被害者数とほぼ同じだ。
 この戦争のその後の経緯だが、2001年1月にローラン・カビラ(当時は大統領)が暗殺された。そして後を継いだ29歳のジョセフ・カビラが、大半の紛争当事者と和平協定にサインし、外国軍も撤退した。2006年には国民議会選挙と大統領選挙が実施され、一定の平和が戻った。
 しかし平和が戻ったのは国土の3分の2のみである。東部では各武装民兵達が勢力争いを続けており、村人は未だに略奪の対象となっている。私が10年前の学生時代、政治経済誌の中で読んだ"世界大戦"は、コンゴ東部の住民にとっては、今日に至るまで"世界大戦"は続いているのだ。 

 このコンゴを舞台にした"世界大戦"は、結局天然資源を巡る戦争だったと言っても過言ではないようだ。
 著者は、1990年代には、上記のコンゴ民主共和国をはじめ、少なくとも11ヶ国で天然資源が原因で内戦が勃発したことを指摘する。アンゴラ、チャド、スーダンシエラレオネ西サハラリベリア等である*1
 そして、重要なことはアフリカ国内で起こっている多くの民族紛争の多くは、歴年の恨みが募って発生したというよりも、天然資源等の利権に駆られた政治指導者(多くが独裁者)が、その利権を独裁する手段として、民族対立を煽っているということだ。
 よく考えれば、それはそのはずだ。
 著者も指摘するように、アフリカにおける他民族共存は、昨日今日始まったわけではない。有史以前我々が想像もつかない時間を、時に衝突を繰り返しながらも平和に共存してきたのだ。対立が激化するなら理由は他にあると考えるのが自然だ。
 本書冒頭で、著者がアフリカの貧困の理由を「政府に問題があるから」と喝破した理由はここなのだ。
 ただ、独裁者の肩を持つ訳ではないが、公平性の観点から一点指摘しておく。当書評の冒頭でも述べたことだが、多くの国の国境は、当地を植民地支配していた列強の力関係で引かれたものであり、指導者が、その人工的な国境で囲まれた国に愛着を覚えないのも、まったく分からないことではない。"ナイジェリア"という名前も、植民地支配していたイギリス政府関係者の夫人が付けたものなのだ。しかし、勿論それが国民を虐げてもいい理由にならないことは言うまでもない。 

 "天然資源"、"独裁者"、"民族対立"、"植民地支配による人工国家"の4つのキーワードを使い、若干単純化し過ぎる嫌いがあるが、「腐敗するアフリカ国家」のモデルについて自分の理解を纏めてみる。
 アフリカ各地には天然資源があり、それは巨万の富を短期的に約束する利権である。その利権を権力者が独占しようとする。その過程で競争相手や、反逆者は邪魔者となるのでは排除する。よって権力者の多くは、独裁者になる。また、邪魔者を排除する過程で、国内の歴史的な民族対立を煽り、反対勢力を一層することもする。
 植民地支配をしていた列強が設定した国境で囲まれた人工国家なので、独裁者はその国にアイデンティティを感じず、その国の国民全体の生活には、興味がない。自分と自分の取り巻きを利すればそれでよいのだ。
 人工的な国境で囲まれているが故に、民族構成が不自然な形で一国に積み込まれている。この不自然な民族構成が、逆に民族対立についての独裁者の扇動を効果的なものにしている。なぜなら、自分の利益に資する味方を団結させるためには、身近な国内に共通の敵を設定して叩くのが早くて分かりやすいからだ。不自然な民族構成であれば、"敵役"の民族を見つけることも容易なのだ。
 独裁者にとって"国家"という入れ物は、孵卵する必要のないものだが、その一方で利用価値は高いものなのだ。"民族対立"も自分の利益を謀る政治的道具に過ぎない。
 このように独裁者を中心とした権力者層と、一般的な国民との間の貧富の差は縮まらない。
 以上のモデルはある意味事実の一断片にしか過ぎないかもしれないが、アフリカ諸国の現状を考えるの一助になると信じている。

 今回は結局、"コンゴ"と"天然資源戦争"という、ある意味特定の論点に絞った本書の紹介になった。私の個人的興味と、この"アフリカ紀行"における流れを優先した。アフリカ全体を鳥瞰するという趣旨からは、外れてしまった気がするが容赦いただきたい。
 一方本書は、上記トピック以外にも、政治腐敗、ハイテク技術の効果、HIV等、多岐に渡るトピックを論じている。アフリカを鳥瞰するという意味では有用な本であることは間違いない。
 極めてリッチネスの高い本なので、今後も必要に応じて登場させたいと考えている。
 アフリカ紀行の行き先であるが、現在進行中のビアフラと同時並行で、今回取り上げたコンゴもその行き先に加えたい。今、コンゴ旅行したイギリス人の手記を読みながら、その人知を超える自然に圧倒されているところである。独裁者モブツ・セセ・セコの伝記も入手した。また読了次第報告したい。
 最後に本日初登場したウガンダについて映画を紹介したい。実在した独裁者アミンの実像を描写した映画だ。アミン役の俳優の熱演により、独裁者の迫力が伝わってくるようである。

*1:著者は、天然資源が豊富でも平和が保たれ、国民が恩恵を受けている国々があることも指摘している。南アフリカボツワナナミビアがそれに該当