リピーターを増やす=依存性を高める≒罪悪感?

今インターネット上には様々な賢人達が散らばっており、それなりにきちんと網を張っておけば、凄く質の高い情報を得ることができます。
そして、それら賢人達が時に形を変えながらも、本質的に同じことを言っているんじゃないかと思う時もあり、啓発されます。
例えば、下記2つの記事を読み比べてみてください。

その1
mixi衰退の最大のミスは足跡機能廃止にあったという、いまさら解析いかがですか? - More Access! More Fun! %
※栄えるWebサービスに必要な要素は「依存性を高める」ことであり、Mixiが足跡機能を廃止したのはその依存性を自ら排除した悪手だったのでは、という内容です。依存性と高めることが重要なのは何もWebサービスだけでないなと思った次第です。

その2
2011-12-11
※商売たるものリピートしてもらってなんぼ、仮に満足させてもリピートしてもらえなければ意味がない、という内容です。顧客の満足度を高める施策と顧客にリピートしてもらえるための施策が違い得る、というか正反対にも成り得るな、、、という個人的に、結構重い示唆を受けた記事です。

この2つの記事の内容をドッキングして考えると、「顧客に満足してもらうかはともかく、リピート率を高めるために依存性のある製品・サービスを提供することが重要!」ということになりませんか。
一般的にいわれる「顧客満足を高めていたら、自然に収益はついてくる」的な発想とは、結構かけ離れている点に注目です。依存性と高め、リピート率を高めることを焦点を定める。顧客満足はその次、というビジネスの厳然たる現実があるような気がします(むしろ満足させすぎるとリピート率を下げてしまうような気もしなくもないです)。

では依存性を高めるために具体的にどうしたらいいか。
もちろん、扱うものによって千差万別でしょうが、私が思うに「罪悪感」がキーワードになると考えています。
我々が依存性を感じる製品・サービスって、多くの場合、我々が罪悪感を感じる行為と結びついていませんか?例えば、
・他人のプライベートを覗き見る
・時間を明らかに無駄にしている
・他人に対して優越感を感じる
・不健康なほど甘いモノを食べる
・不自然に異性と接する機会を増やす

依存性を感じる製品・サービスを設計することは、利用者が罪悪感を感じる好意を正当化するような設計でないといけないような気がします(※生活必需品とかは話は別ですが)。
よって、顧客の満足を高める、ということを真っ当に追求するだけでは、意外とピントがずれてしまう可能性があるのでは、と考えています。