携帯電話端末の未来を妄想する〜端末の寿命とは〜

今、私の手元にはiPhoneがあるのですが、もはや体の一部に近い感覚があります。
iPhoneが私の生活で果たしてくれている機能を考えると、肌身離せないものがあります。
メール、電話、カメラ、ビデオ、パソコン、ニュース(各国語文字+音源)、辞書、音楽プレーヤー、本屋、本、調べもの窓口、資料管理、SNS(知人との情報交換・交流管理)、運動管理、体調管理、各種情報管理、教育機関、ゲーム、地震警報、株価チェック、目覚まし時計、、、

今まで、テレビ、電話、カメラ、音楽プレーヤー、辞書等など、バラバラの製品として持っていたものを1つにまとめただけでなく、携帯電話という肌身離さない端末の特質を活かした新サービス、例えばSNS教育機関、運動管理などを組み込むことにより、まさに我々の生活を一変させました。特にパソコンの主要な機能を飲み込んだことも大きく、仕事のスタイルまでも一変されられた人が多いのが今日この頃かと思います。

まぁ、iPhoneがどこまで商品として競争力を持ち続けるかは分かりませんが、私は、この小型の情報端末(≒携帯電話)を持つというスタイルが、これからどう進化していくか気になります。
というのも、いくら機能を詰め込めたとはいえ、実際電子機器を持ち歩いているわけで、落としてなくしたり、壊したり、また、水没させたりするリスクは常にあるわけです。

理想としては、手ぶらの状態で既に「携帯電話を持っている状態」でいるのが理想です。そうすると、選択肢は、まず網膜に電子回路を埋め込み、瞬きか脳の電気信号で端末をコントロールすることです。ただ現在の技術や人体機能の解明度合いから考えると、これが5年やそこら以内に起こるのは考えにくい。また、光線等でどこかに端末を表示させて使う、というのも利便性の問題で厳しそうです。液晶の明彩度もないですからね。しかもiPhone並みにさくさくって動く利便性に中毒になっている我々は、ちょっとでももっさい動きの端末を使うことは、もはや難しいでしょう。
もし、これが実現するとしたら、例えば今の「アプリ」という形式ごと変わっている気がします。というのも、「使いたいアプリを指で押して起動させる」というスタイルはあくまでもスマートフォンを前提にしています。体内に一体型にするとアプリの起動方法そのものがかわるでしょう。どうせ端末を体に埋め込んでいるなら、普段から蓄積にしている情報(ライフログ)で使おうとしている機能を察知して自動立ち上げとかもしてほしいですよね。

いずれにしても、体と携帯端末を一体化させる方法が、直近が現実的でない以上、暫くは我々が情報端末を持ち歩くスタイルは続くと思われます。
そして、持ち歩く型の端末が進化するとしたら、まず考えられるのが、端末のソフトとハードの分離でしょうか。普段は無味無色のパネルを持っていて、それを本人が触ると生体認証で端末が起動する。そこからのスタイルは、現在のスマートフォンと同じです。そのパネル自体はコンビニでも売られているくらい安く、いくら壊したり、なくしても問題ありません。サイズも色々あって、便宜によって使い分けられます。なんなら、今議論されている国民ナンバーを各個人のアカウントと紐づけておいて、税金や年金の管理までもそのアカウントの上で行ってみるとかできないでしょうか(そうすると、官業と民業が猛烈に連携する必要がありますが)。その時には水道哲学ではないですが、全国どこでも確実にインターネットに接続が社会の最低限のインフラとなっているでしょう。

またはスカウター型でしょうか。耳の所に円型のコントローラー(iPod)みたいなものがあり、それでコントロールします。これが技術的にはまだ近そうです。ただ文字入力方法はどうするかという問題がありますし、耳につける端末のデザイン、機能性(違和感をいかにゼロに近づけるか)の問題もあります。
そういえば腕時計型のiPhoneの開発が話題になっていますが、文字入力、画面の小ささ等をどう克服するのが見ものです。個人的には結構厳しそうかなと思っています。

ここまでつらつらと書いてきて思うのが、現在の手持ち端末というのが意外にも高い利便性があるということですね。この利便性は暫くは維持される、つまり我々は当分は端末を持ち続ける生活を続けるでしょうが、おもしろいジャンプアップがあればいいな、と引き続き妄想していきたいと思います。