『警察の誕生』菊池良生

警察の誕生 (集英社新書)

警察の誕生 (集英社新書)

この書評は、成毛眞さんの「本のキュレーター勉強会」企画オマージュである。
「本のキュレーター勉強会」第2回 - 成毛眞ブログ

『警察の誕生』。正直タイトルからは全く惹かれない。「警察」なんて追求されることこそあれ、追求したいなんて思わない人が大半だろう。少なくとも私はそうだ。
ただ、読了した今、タイトルと内容にいい感じのギャップがあり、想像以上に楽しめた。

確かによく考えてみれば、警察も歴とした暴力装置だ。よって、その時代の統治者にとって警察をどのような形で統治機構に組み込むかは、極めて重要な問いなのだ。よって、警察の誕生≒国家の誕生であるし、警察の歴史とはやや大げさに言うと、国家そのものの歴史に直結するスケールの大きな話なのだ。「国家の歴史」とまでいうと仰々しいが、要は「効率的に人を支配する仕組みとは」とか「人を支配するのに暴力をどう使うか」という話なので、血が流れる生々しい話も多く、本書もその手の話題が散りばめられている。もともと支配欲が強い人はボルテージを保ったまま読み進められるだろうし、市販のマネジメント関連の書籍が何となく胡散臭く感じる人も何か開眼するものがあるかもしれない。

本書の構成としては、古代エジプトから中世ヨーロッパを経由して近代フランスまで、各国家において必要とされた警察制度とその役割、変遷を紹介していき、近代警察が成立するまでの経緯を描写する。当然、求められる警察の形は、為政者の統治の便宜により決められるので、現在の我々の持つ「警察」のイメージとはかけ離れた警察が登場する。例えば、国民の人権意識が気薄だった古代オリエント、エジプト、ローマなどでは、警察とは住民を犯罪から守る機能よりも、まずは政府に対する犯罪の予防と鎮圧を担ったらしい。そして、多くの場合警察と軍隊、司法、行政が未分化で強大な権力を有していたと紹介されている。統治者目線で考えると優先順位は間違っていないと思えるが、被支配者目線で考えると、たとえピラミッドの建立にライブで立ち会えたとしても割にあわない気がする。

本書が俊逸な点は、中世から近代の警察制度の変遷を語る一方、各時代の人々の生活者目線の面白いエピソードがたくさん盛り込まれている点である。その秘密は、著者・菊池良生氏の経歴にある。菊池氏の専攻はオーストリア文学であり、上梓されている書籍に『ハプスブルグをつくった男』、『神聖ローマ帝国』等があることから分かるように、中世ヨーロッパの歴史に造詣が深い方なのだ。
例えば、中世パリの汚さは有名だが、そのエピソードとして、市内で放し飼いの豚(!)に落馬されられて絶命したフランスの王太子の話や、4、5階建ての建物に住んでいた多くの住民は足した用を窓から放りなげていたので、汚物から女性を守るために男性が車道側、女性が建物側を歩く習慣が生まれた等の嘘か本当かよくわからない話や、中世ウィーンでは、市内の治安を担当する市警察隊が、三十年戦争オスマン・トルコの脅威等の外交に予算を取られてしまい、副業に精を出さざるをえず、中には兵舎を売春宿にしてしまう豪傑もいたらしい。
もちろん、これらのエピソードは全体のストーリーの中で重要な意味を持っている。パリにしても、豚が放し飼いにされ、糞尿まみれの街はやがてペストが流行り、壊滅的な打撃を被る。これをきっかけに、市当局は都市住民の生活全般にも警察的規制を始めるのだが、この規制強化が後に絶対主義時代の相互監視と密告で成り立つ警察国家の礎になるのだ。街は自主規制で常にキレイにしておくべきかもしれない。

それらエピソードを交えながら、イギリスとフランスにおいて、警察が、司法、行政と一定の距離を置く近代警察が成立するところまで本書は進む。面白いのはイギリスとフランスの近代警察の質に微妙な差があり、それが現在まで連綿と続いていることだ。
本書によると、「フランス警察は最後まで行政の監督権を手放すことはなく、警察が国民生活の多岐に渡って干渉する癖は抜けない。よって、フランス警察は犯罪を取り締まる司法警察と行政一般を監視する行政警察を兼ねている」とある。
もの凄く腑に落ちた。
というのも、フランスのサルコジ大統領が、大統領への階段を駆け上がったきっかけが、2002年に内務大臣に就任した際、当時悪化の一途を辿っていた治安に対して、警察を率いて徹底的に改善させたことだ。これにより国民からの支持率が飛躍的に上昇した。
フランスの内務大臣の権限と裁量の範囲は、上記のフランスの近代警察の成り立ちを鑑みるに、想像以上に広いのかもしれない。ちなみに、当時サルコジは内務大臣でなく、首相のポストを要求していたらしいので、彼は、フランス警察制度のこの特質まで見通していたわけではなさそうだ。もし、あの時首相になっていたら、大統領になれなかったかもしれない。禍福糾えるなんとやら、とはよく言ったもんだ。
このように、現在に繋がるインプリケーションを引き出しながら楽しみめるのも、本書のよさの一つだ。

あまりお世話になりたいとは思わないが、否応にも警察は我々の生活にとって身近な存在なので、一度その存在について深く探ってみるのも面白いかもしれない。そのきっかけとして本書は、良書だと思う。

最後にマニアックに本書を一言で紹介すると、佐伯啓思氏の一連の国家論系の著作が好きな人は、絶対楽しめる。佐伯氏の著書ほどカチッとして、抽象的な感はないが、同じ匂いがする。

国家についての考察

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