途中経過報告 スペイン語訳、ポーランド語訳プロジェクト発足か

 先日発表した『英語圏以外全世界へのアプローチ(進捗報告 英語圏以外全世界へのアプローチ - YOSHIHISA YAMADA’s Blog / 山田義久Blog)』の今日までの結果を報告する。
 まず、何らかの返信があった国は、スウェーデンオランダフィンランドコロンビアの4ヶ国で、フィンランドの大使館館員からの返信以外、すべて各国将棋協会関係者の方からの返事だ。
 幸いなことに積極的な返答もいくつか受け取り、新プロジェクトが立ち上がる予感がある。まだ萌芽の段階であり、今後どこまでうまくいくかは未知数だが、長期的視点で大切に育てていきたいと思っている。
 下記、先方からのリプライを公開する。

 まず、スウェーデンからの返信だが、2件ある。
 実は、スウェーデンを初めとする北欧諸国の人々は、英語の教科書で教育を受けたり、英語のテレビ局があったりと、英語との縁が深い。私も留学中に知り合ったスウェーデン人とスイス人の友人が、酔っ払った際に、サイモン・アンド・ガーファンクルの『ボクサー』を空で合唱していたのを見て、強いジェラシーを感じたことを覚えている。 
 よって、そもそもスウェーデン語に翻訳するニーズがあるか微妙だと思ったが、返信内容も大方その通りだった。

Carl Johan Nilsson氏(スウェーデン人、欧州将棋協会員)


Yoshihisa Yamada様


 私は数日前にTakadoriさんのブログ(Takodori's Entrance to Shogi World)でこのプロジェクトについて知りました。既に最初の3つの章を読みましたが、強い感銘を受けています。
 このプロジェクトはスウェーデン将棋フォーラム(http://shogi.se/forum/)のスレッド(http://shogi.se/forum/viewtopic.php?t=253)で宣伝されています。
 同様に、我々は「スウェーデン将棋マガジン」の次号に、このプロジェクトについて書くことができます。


 私はスウェーデン語に翻訳できるほど日本語を喋れませんので、翻訳は英語ベースになります。その手法をとると二重翻訳になり、内容に欠損が出る可能性があります。しかし、何もないよりましです。
 よって、私はスウェーデン棋士のMartin Danerudに頼んでみます。もしかすると彼は直接日本語から翻訳することに興味を持つかもしれません。彼は日本語を少し話せますし、奥様は日本出身の方ですから。


敬具

 その後、Carl氏とメールをいくつか交換し、Danerud氏より来週のタイトル戦の際に、当プロジェクトについて話し合ってもらうとの確約を得た。Danerud氏も自分で将棋の本を執筆中とのことである。引き続きコンタクトを続ける予定。
 二重翻訳の問題も、最近英訳の質はかなり高いものになっているので、仮に実際に翻訳プロジェクトが始動したら、その際に問題がない旨を説明する予定。

 スウェーデンから2通目だ。

Daniel Wredenberg氏(スウェーデン人、スウェーデン将棋協会員)


Yamada様


 スウェーデンでは多くの人が英語が得意であり、翻訳に対するニーズはあまりないと思います。しかし、この本は素晴らしい内容なので我々協会のサイト(shogi.se)にリンクを張っておきます。


敬具

 Daniel氏からは、ある意味予想通りのリプライだ。だが、スウェーデン将棋協会に本プロジェクトを知らしめるだけでも、損益分岐点は越えたと考えてよいだろう。
 連絡に対する御礼の旨の返信を行った。

 次に、オランダからの返信だ。オランダもスウェーデン同様英語に卓越した方が多い。私が留学中に出会ったオランダ人も、教室で弁当として持参した生のニンジンをポリポリ齧りながら、俊逸な英語を喋っていた。
 よって、オランダについてもスウェーデン同様に、翻訳計画よりも本プロジェクトの存在を伝えることに力点を置く展開になることが予想されたが、実際そのようになった。
 しかし、総じてよい感触の返事を受けた。

Peter Blommers氏(オランダ人、オランダ将棋協会会長)


Yamada様


 今、メールを拝見しまして、大変興味深く思いました。時間が許す限りですが、本プロジェクトに関わりたいと考えてます。
 ただ、ご存知の通り大半のオランダ人は英語をよく理解することができるので、オランダ語に翻訳する意味は殆どないかもしれません。
 私は、1976年よりオランダ将棋協会の創立者で、辞書を片手にですが、日本語で書かれた棋譜をそれなりに読むことができます。実は過去に日本語と英語で書かれた将棋用語をオランダ語に翻訳しようと試みたことがありました。しかし実際に我々が将棋を語る時には、日本語、英語、オランダ語の3つをミックスした言語を使っていました。微妙な翻訳の意味上の問題が起こるのです。


 コンタクトを続けましょう。私はこの件について他のメンバーに話してみて、結果をお伝えします。あなたはパリにお住まいですか?


敬具


Peter Blommers "とても、とても小さなオランダ将棋協会会長"

 御礼と私が東京在住である旨の返信を行ったが、先方は将棋にかなり造詣が深い方のようであり、今後とも有益な情報交換ができそうである。もし、氏と個人的にコンタクトを希望される方はご連絡いただきたい。

 また駐日フィンランド大使館からも返信を受け、先方より関連部署に私のメールを転送したとの返事を受けた。また駐ハンガリー日本大使館に、このプロジェクトを補助できる人がいるかも知れないとの示唆を受け、早速メールを送付した。

 次に、ポーランドからの返信だ。このブログのログに、ワルシャワからのアクセスが記録されていたが、恐らく氏であろう。
 かなり積極的な返事を受けた。もしかするとポーランド語プロジェクトが発足するかもしれない。

Adrian Woloszyn氏(ポーランド人、欧州将棋協会員)


 こんにちは、私はポーランド人のAdrianと申します。
 私はこの本をポーランド語に翻訳して、我々のサイト(Shogi Harbour – Shogi Harbour – a safe place for every shogi player)で公開して、ポーランドにおける将棋の伝播に役立てようと考えてます。
 ただ、2点問題がございます。
 1点目は、最近趣味のために自由な時間があまり取れないことです。
 そして2点目は、私はこの本をポーランドで出版することも希望する、ということです。実はポーランドには将棋に関する本が一冊もありません。ただ、本を出版するとなると、当方に販売費用も必要ですので、なんらかの収益をその出版から得る必要がございます。この点について、そちら側の合意は得られますでしょうか。


 当著の翻訳のアイデアについては、欧州最大の将棋フォーラムに紹介できますし(http://shogipro.com/forum/)、グーグルの将棋グループもあります(Google グループ)。


敬具

 私からは、御礼の旨の返事はしたが、出版に関する事項は著者である梅田さんの合意が必要なので、保留してある。このような場合、現物の出版を勧めるのか、Web公開のみを勧めるのか、どちらにすべきか私の考えもまだ纏まっていない。
 ただ、ポーランドで日本の文化が紹介されるのは、大変光栄なことなので可能な限り協力したいと、私は考えている。

 最後に、何と大西洋を跨いだコロンビアからの返信だ。私がコロンビア人と接触するのは、10年前にパリのユースホステルのバーでビールを奢ってもらって以来だ。ラテンのノリで積極的な返事を受けた。 

Carlos Mario Penagos Hollmann氏(コロンビア人、コロンビア将棋協会員)


将棋の友、Yoshihisa Yamadaさん、


 メール有難うございます。このような著作をスペイン語に翻訳できることを光栄に存じます。もし可能であれば原著を一冊私に送付いただければと思います。私はBarranquilla市に住んでおり、住所は…(氏の住所)です。
 あなたがどのように私のメールアドレスを見つけたのか不思議ですが、ご連絡いただけたこと嬉しく思います。


敬具

 原著を送るのは構わないのだが、日本語を読めるのか問い合わせたところ、「日本語は読めない」との返答。公開中の英訳サイトからスペイン語に翻訳できないか確認中。引き続きコンタクトを続ける。

 現時点でのリアクションは以上だ。
 まだポーランド語訳プロジェクトも、スペイン語プロジェクトも孵卵機の中のウズラ卵くらいであり、フォローアップ等先方と情報交換を密にしながら育てていかなければと考えている。 
 もし、コロンビア、ポーランドに興味を持たれている方がいれば、先方との定期的なコミュニケーションを任せたいと考えている。もし誰も立候補がいなければ引き続き私が行う予定だ。
 スペイン語はともかく、ポーランド語について翻訳計画が持ち上がるとは予想できなかった。面白くなってきた。引き続きどのような国から返事が来るか、ご期待いただきたい。

 以上


[おまけ]最近、私のブログが文字ばかりで少し寂しいので、上の文中ででてきた場面の写真を若干紹介したい。

【その1】ニースの海岸

 私のフランス留学は、ここニースの語学学校から始まった。午前中に授業が終わった後は、友達と集団で海岸に泳ぎに行ったものだ。そのスウェーデン人、スイス人の友達と私で波打ち際に縦一列に寝転がって、巨大な大波に飲み込まれて遊んでいるのを見た女性陣達から「あなたたち男は、みんなバカね」と意味深に冷笑されたのもいい思い出だ。

【その2】ニースの夕焼け

 昼間は人で賑わう海岸も、夕方になると人気がなくなる。これは当時私がホームステイしていた家の近くの海岸だ。留学当初はフランス語がまったくできなかったので、この海外で文法書ばかり読んでいたことを思い出す。

【その3】1998年9月のパリ

 初めて一人で行ったパリだ。当時まだ18歳である。エッフェル塔には2000年までの残り日数として「472日」と表示されている。
 ちなみにこの夜に行ったユースホステルでそのコロンビア人と会ったのだが、そのユースホステルで翌朝ボヤ騒ぎが起こり、全員パジャマで避難させられたというオチがついた。