第6冊目 『超「超」整理法』

超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー

超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー

 今日は、アフリカ関連とは違う他の本が読了したので、その本を紹介したい。
 私見だが、私は、本書の著者、野口悠紀雄氏(野口悠紀雄Online)を現在に生きる最高の知性の一人だと考えている。野口氏の本職は経済学者であり、現在は早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授に就いている。専門はファイナンス理論だ。
 しかし、野口氏の興味は、経済学に留まらず、旅行や文学、歴史、外国語習得、読書や執筆等の知的活動全般にわたる。ほぼすべてのジャンルについて、野口氏は著作を発表しており、私は基本的に氏の著作はすべて読むことにしている。情報紙面とネット上で連載されている野口氏のエッセイもとても面白い(「超」整理日記 | 『週刊ダイヤモンド』連載http://diamond.jp/series/noguchi/bn.html)。特に旅行記は、俊逸である。
 末尾に「〜法」が付く本が多く、野口氏のことを安易なビジネスノウハウを連発する著者のように言う向きもあるらしいが、そんな片面的な意見は無視しておけばいいと思う。野口氏の著作をすべて読むと、野口氏の森羅万象に関する造詣と人間的な懐の深さ、そして飽くなき好奇心に感服するばかりだ。

 野口氏の特徴を一言でいえば、Man of Principle、原理原則の人である。つまり主義主張が首尾一貫している*1。主義主張が一貫しており、それを真摯に貫いていくので、野口氏の言動には、気持ちいいくらい痛快な意見も多い。しかし、その主張は常に平易な表現を使いながら、厳密な論理性を保つ。
 一方で、野口氏は、主義主張が首尾一貫しているが故に、同時に極めて柔軟な考え方を持っている。
 一般的に、主義主張を一貫させている人とは、"何やら凝り固まった考え方をする人"という印象を与えるかもしれないが、それは逆だ。なぜなら、自分の行動規範となる主義主張を一貫させると、逆に「思い切り変えていい部分」や「完全に無視していいこと」が明確になるからである。その"変えてよい部分"は、思い切った改革に着手できるし、"自分は主義主張を一貫させている"という一定の確信が、改革を迅速に実行に移す際の、心の強いバックボーンとなる。
 野口氏は、ITが知的活動にもたらす効率化の潜在性について、強く一貫した信念を持っている。新しいテクノロジーが発表されるごとに、そのテクノロジーの本質を見極め、有用と見るや抜本的な改革を行い、自分の知的活動(氏の場合、多くは情報検索と執筆)のスタイルを大きく変えてしまう。
 例えば本書では、野口氏はGメールに着目し、オンライン上にオフィスの主要機能を移動させてしまう。私も「Gメールは便利そうなツールだなぁ」とくらいは考えていたが、その性質と可能性について、そこまで突っ込んで考えていなかった。
 今回もこの洞察力と行動力には感服し、私も多いに参考にした。

 本書では、上記の通り、Google社が提供するGメール上にデジタルオフィスを構築し(というより既にもう出来上がっている人もいる)、Gメール上で膨大な情報を管理するノウハウと限界を論じていく。そして、今後、あらゆる知的活動がどのように変移するかについて、野口氏は、説得力ある私見を展開していく。

 私も、野口氏の意見を受けて、本日、Gメール上に、自宅用PCの主要機能を移動した。主要機能といっても主に各種文章資料(大きい画像と動画は容量的に現時点では無理)の移転だが、学生時代からのものをあったのでそれなりの量になった。100MBを越える情報量を移転しそれなりの作業量となったが、重要資料も移転させたので、これで仮に使用しているパソコンが潰れても壊滅的なダメージを受けることはない。ま、インターネット接続されている端末であれば何時でもどこでも私のオフィスにアクセスできるようになった。これで、このブログの執筆も場所の制約からかなり開放された。
 Gメール上にアップした情報であるが、野口氏が指摘するように「ラベル」を使って管理すれば、凄まじく楽である。複数のラベルを1つの資料に付けられるので、2つ以上の属性を持つ資料の管理も容易になった。私のラベルには、例えば「留学時代の資料」、「Blog用資料」等の種類がある。今までは「Blogのネタに使える留学時代の資料」の管理に戸惑っていたが、その心配は雲散した。もちろんメール上の文言をキーワード単位で検索することも可能だ。
 私は自分用に一工夫加え、「オンライン・デスクトップ」という毛色の違うラベルを作成した。これは、今まで自分のPCのデスクトップ上においてあった資料を置いた。まだ未処理の資料や作業中の原稿等を置き、まさにオンライン上に設けたデスクトップ代わりにしている。
 また、Gメール上にアップできない動画や重い画像等は、300GBの外付けハードディスクに移動した。
 今、私のPCの機能は、各種ソフトウェアとアプリケーションのみになりつつある。今後もフリーソフトウェアの調査を続け、いかに固有PC上の機能をネットワーク上に移せるか研究したい。

 やや専門的に言えば、野口氏も私もクラウド・コンピューティングの世界に疾走していることになる。
 クラウド・コンピューティングについて本書内に下記の記述がある。 

 …社会的なインフラストラクチャが整備されれば、「クラウド・コンピューティング」の時代が到来する。
 これは、グーグルのCEOエリック・シュミットが、2年ほど前に言った言葉だ。「ユーザーはどんなPCからでも、あるいはPDAや携帯電話からでも、クラウド(雲)にアクセスして、その中にあるアプリケーションを利用し、そこにデータを保存する」という使い方だ。
 ユーザーは、インターネットを介してクラウドにアクセスするだけで、その中身を意識することなく、クラウドにある強力なコンピュータ・パワーを利用することができる。これは、電力会社が電気を配電してくれるため、個々の工場や家庭が発電機を持たなくてすむようなものだ。安価な端末からこれを利用するユーザーは、「シン・クライアント」(thin client)と呼ばれる。彼らは、マシンの保守やウィルス侵入など、自分が持っているマシンにまつわる心配をあまりせずにすむ。
 Gメールは、グーグルが進めようとするクラウド・コンピューティング戦略の一部分なのである。グーグルは、「グーグルドキュメント」(「ワード」互換のワープロ)や「グーグルスプレッドシート」(「エクセル」互換の表計算ソフト)を提供することによって、クラウド・コンピューティングをさらに普及させようとしている。グーグルは、それらをまとめたGoogle Appsを、企業、教育機関、家庭などに向けて提供し始めている。こうしたものが普及して人々が安価な端末を使うようになれば、マイクロソフトには本質的な脅威となるだろう。同社はいま、ITの支配者としての地位を脅かされつつある。(本書97p)

 確かに、電子資料だけでなく各種アプリケーション等もすべてネット上空間である「クラウド」に置いてしまえば、手元にあるPC内に必要なものは…インターネット回線のみということになるかもしれない(ブラウザーもフリー)。
 まさに梅田望夫氏がその著作『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』等で強調されるように、パソコン周りのイノベーションが今後すべて「あっち側」で展開することになる。
 以下妄想だが、そうなると、少なくとも一般消費者向けのITインフラ市場には、Googleと傘下のソフトウェア製造業者(主にフリーソフト制作)、強力なインターネット接続業者、安価なPCメーカーの3プレイヤーに収斂されてしまうかもしれない。。
 いや、逆に考えれば、ITインフラ戦争が収束し、クラウドへの参入障壁は極めて低くなり、大多数の会社にとって完全にインフラ上のコンテンツがビジネスの主戦場になるのか。。
 そもそも、超強力なインターネット接続を国が公共事業で保障してしまったらどうなるか。国が現存する接続業者を国有化し、国民に対して「現行の最高水準のネット接続環境を各家庭に保障する!」とぶち上げる。まさに新しい"水道哲学"だ。端末PCに多くの機能が必要となくなるので、価格は下がる。よって全国民にPCは支給だ。いや、ネットに接続すればどのPCでも同じなのだから、家、道路、施設、町のありとあらゆる場所に、誰でも自由に使える"公共財"としても設置すべきか。。妄想は膨らむ。

 ただ、現時点ではまだGメールでも不都合な点もある。
 第一に、Gメールにアップできる容量は、25MBの制限がある。これでは、動画はアップできない。個人差があるだろうが、私は動画情報も少ながらずあるので、この制限が増えることを願っている。特に今後、テレビコンテンツが無料に近い額で我々の手元に入るとしたら(兆候はある)、動画資料も各ユーザーが保有する資料の一定を占めると考えられる。
 ただ、Gメールが25MB以上の容量を受けれるとしても、通信回線が付いてきていなければ意味はない。つまりインターネット接続業者が通信速度を上げるのをGoogleは待っているのかも知れない。
 第二に、検索の範囲である。現在キーワード検索の対象の中心は、メール上の文言である。一方、大半の資料は、添付ファイルとしてWordでありExcelで作成されており、そのままGメール上に保存されることが多いだろう。よって、その大半の資料のコンテンツは、現行のキーワード検索では検索されないのだ。よって、フリーワード検索の範囲がメール上の文言のみでなく、WordとExcelの中身にまで及んでほしい。

 しかしながら、クラウドコンピューティングの進展も含め、ネット世界が知的活動に及ぼす影響は驚愕する。
 私は、今コーヒーショップで読書をするときも、携帯電話が離せない。携帯電話端末からインターネットにアクセスし、WikipediaAmazonを用いて必要項目を調べるためだ。Wikipediaがあるだけでも読書は一段深くなる(ただ、Wikipediaの携帯用HPはもうちょっと使いやすくしてほしいが…)。
 また、Wikipediaだが、最近私は和英辞書(英和辞書)代わりにも使っている。日本語で書かれた外国語のアルファベットの綴りを検索するのに、これが一番効果的だと気づいた。特に外国人の人名、専門用語に有効だ。一方、Wikipediaについては情報の信憑性について、詳しく調べたいと思っており、関連書籍をリサーチしている。また書評で論じたいと考えている。

 最後だが、本書を読んで一番驚いたことが、New York Times(The New York Times - Breaking News, World News & Multimedia)が新聞記事を無料で公開していることだ。ある会社の情報を10年単位の時系列で欲しい時に、過去の新聞記事は有効と考え、日経新聞の記事を低コストで検索し、情報を得るにはどうすればいいかと考えていた矢先であった。NYTを使えば、無料でしかも家でできてしまうわけだ。

 日進月歩の技術開発は、私のプラベート・オフィス周りからIT業界全体まで、まだまだ変えて行きそうな気配だ。楽しみである。
 どのような将来像が描けるのか。当ブログでも、機会を見て考えていきたい。

[読書候補本メモ]

その数学が戦略を決める

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ウィキノミクス

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*1:"首尾一貫している"ということは、"間違いがない"ということではない。実際、ITの進化が知的活動に与える影響についての予測を、外したことを本書内で認めている(そんな予測は誰も正確にはできない)。しかし、野口氏は間違いがあればそれを即座に認め、改称案を提案する。野口氏の"一貫性"は、瑣末な見解の一貫性でなく、根底の思想の一貫性なのだ。