第4冊目 『多読術』
- 作者: 松岡正剛
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/04/08
- メディア: 新書
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アフリカ編の途中であるが、丁度並列で読んでいた別の本を読了したので、今日は脱線したい。
本書は『多読術』というタイトルになっているが、読書ノウハウに終始する本ではない。
大体、「本が好きな人」というのは、"本が好きな人も好き"であることが多い。
よって、本当に「本が好きな人」が書いた本や読書についての本には、また別の意味で惹きこまれる。
自分以外の人が持つ、本との付き合い方や距離感に共感したり、自分と違う感覚に敬意を持ち、参考にしたりする。これはこれで最高に楽しい。
本が好きな人の本に対する愛着の話を聞いていると、料理や恋愛の話を聞いているようで微笑ましい。料理の手法や恋愛の形が色々あってよいように、本との付き合い方も個人差があってよいのだ。
本書の作者の松岡正剛氏は編集のプロ中のプロである。日本文化に対する造詣が深いとされ、その関連著書が多いが、その造詣は世の中森羅万象を対象とし、膨大な読書量がそのバックボーンになっている。氏は『千夜千冊』(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html)という書評サイトを運営しており、1200冊以上の書評が公開している。各書評は、文章の密度の高さは当然として、写真等の参考資料も充実しており、すべての書評を読破するだけでも数年かかりそうだ(ちなみに当該書評は再編集され、広辞苑5冊ほどの本として出版されている。まず店頭で売ってない。六本木の青山ブックセンターには、松岡氏が経営するイシス編集学校の三冊屋のブースがあり、そこにある!)。
当然ながら松岡氏は数万冊の蔵書を有する。よって、本に対する愛着も尋常ではない。尋常ではないことが本書の行間から伝わってくる。
冒頭「そもそも本ってなんですか?」という質問に対する氏の回答が、本好きにとって、"本"というものが、どのようなものなのか如実に表している気がする。私も全面的に賛成だ。
本というのは、長い時間をかけて世界のすべてを呑み尽くしてきたメディアです。ギルガメッシュの神話から湾岸戦争まで、カエサルから三島由紀夫まで、ラーメンから建築まで、金融危機からサッカーまで、みんなみんな、本の中に入っている。むろん日記も手紙も小説も見聞記も、楽譜も写真も映画のシーンも名産品も、本になる。(9p)
あまり本と縁がない方は、「本ばかり読んでいる人は、頭の中が文字だらけ」と思っている嫌いがあるが、それは誤解だと思う。私を含め本が本当に好きな人は、本を読みながら文字で妄想している。
妄想は無限だ。本の中の言葉を触媒に妄想を書き立てるのだ。頭の中には鮮明なイメージを描こうとする。逆に鮮明なイメージを与えてくれる本が良書なのだと思う。鮮明なイメージで妄想に没頭できる本との出会いは最高に嬉しい。また別の言い方をすれば紙面によい匂いを感じる。そのくらい感覚的なものなのだ。
その妄想の中で、今まで知らなかった世界や、その存在を想像すらできなかった世界を"旅"するのだ。そしてこの世界の広さを知る度に、まだまだまだ果てしなく続く未知の世界の広がりを感じ、また褌を締めなおすことになる。万巻の読書で知識を増やしても、未知なことが減ることはない。逆に増える。
恐縮だが、この点は松岡氏も同意してくれるのではないかと勝手に合点だ。下記の抜粋を見てほしい。
本はやっぱりパンドラの箱。読書によって、そのパンドラの箱が開く。そこに伏せられていたものが、自分の前に躍り出てくるということです。ポール・ヴァレリーふうにいえば、それによって「雷鳴の一撃を食らう」という楽しみですね。ということは、こちらが無知だからこそ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味です。(69p)
「無知から未知へ」というこの言葉が本書で一番ズシンと響いた。読書の意味について、もやもやしていたことが明確に言葉になった気分だ。同じ「分からない」という状態でも、「まったく(存在すら)知らないこと」と、「(現時点では色んな理由で)分かることができない」ことは似て非なることで、前者を減らし、後者を増やすことが読書の本旨であり、楽しみなのだろう。
どうせ全知全能などにはなれるはずもないのだから、本を読むことに肩肘を張ることもない。
読書とは結局…
植物をスケッチするとか、昆虫を採集しておもしろがるということにも通じることで、おもしろいからですよ(笑)。(20p)
私も自分のスタンスはこのくらいの軽さでいいと思っている。
その他、本書からは読書周辺の細々とした示唆を受けた。
例えば、本棚だ。
私は、家の広さと蔵書量から本棚を買うことを躊躇してしまい、本を床に横積みにしていたのだが、この度、猛省した…
これは最初は武田泰淳さんに、次に松本清張さんに聞いたことですが、本が溢れてきたからといって書庫を作ってしまう(=蔵書を別の孤立した部屋に隔離する)と、急に本を読まなくなるんだという。「読む」のじゃなくて「調べる」になるらしい。それでゼッタイに書庫にするのはやめようと思った。だって本って、実は背表紙の並びを見ているときから読むが始まっているんです。(11p)
その通りだ。以前と比べ日常生活の中で目に入る"背表紙"が減っている分、蔵書を参照することが圧倒的に減っていた気がする。
自分の使い勝手がよい本棚を自作しようと思う。
また次の指摘を示唆に富む。
著者というのは、実は自信ありげなことを書いているように見えても、けっこうびくびくしながら「文章の演技」をしているんです。そのための加工も推敲もいろいろやっている。だから本というのは著者の「ナマの姿」ではありません。「文章著者という姿」なのです。
もっとわかりやすいことをいえば、その文章著者は自分が書いたことをちゃんと喋れるかというと、半分くらいの著者は喋れない。そういうものなんです。(87p)
編集のプロフェッショナルとしての氏の経験からの貴重な本音だろう。
よって、本を書いた著者自身ですらそうなのだから、その本を一読して理解できなくても、気にする必要ないのだ。むしろ、一定の敬意を持ちつつ読み進んでも、尚理解出来なかった場合は、不理解の責任を遠慮なく著者に押し付けてもよいのだ。自己卑下する必要などどこにもない。気楽に読書すればいい。
その他、諸々の興味深い示唆、「本の造本にも興味を向けるべき」や「全集読書」や松岡氏が編集した現在絶版の「情報の歴史」が猛烈に欲しくなったり書きたいことは沢山あるのだが、このあたりで留める。
最後だが、こういった「読書フリーク本」で楽しみなことは、自分が今まで知らなかった面白そうな本を紹介してもらえることだ。
今回は、石井桃子『ノンちゃん雲に乗る (福音館創作童話シリーズ)』、宮本常一『忘れられた日本人 (岩波文庫)』、折口信夫『古代研究〈1〉祭りの発生 (中公クラシックス)』、細野善彦『日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)』、狩野亨吉、板垣足穂、レイモンド・チャンドラー、ロバート・ラドラム等々。。また本屋散策が楽しみだ。
以上のように本書は、知の巨人であり、本と読書に対する造詣が深い松岡氏が、インタビュー形式で氏自身の想いとそれに伴うノウハウについて熱く語った本である。編集職の方々の独特の抽象的表現が若干難解な部分はあるが、本好きの人は、大半が共感できるだろうし、読書に興味を持ち始めた方もとても参考になると思う。
今思い出したが、本書で紹介された読書における教訓としてもう一つ興味深いものがあった。
江戸時代後期の私塾で勧められた教訓らしいが、それは「慎独(しんどく)」である。
意味は「読書した内容をひとり占めしない」という意味。このブログもその精神を遵守しながら今後も続けていきたい。
[読書候補本メモ]
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