「キャリア」という言葉に対する違和感

私には、一般的によく使われる言葉の中で相当違和感を感じるものがいくつかあるのですが、その代表格が「キャリア」という言葉です。
ちょとなぜそんなに違和感を感じるのかちょっと言葉にしてみました。

第一に、この言葉の大前提として「他人にどう評価されたいか」というニュアンスが大前提にあることです。もちろん仕事をする上で他人にどう評価されるかは重要なのですが、私はそれよりも「自分がどうしたいか、何をしたいか」、また「そのためにいかなる壁も越えていく覚悟はあるか」の方が、仕事、また人生の満足感を高める上で遥かに重要だと考えています。自分がやりたいことは、短期的に他人に評価されないこともあるでしょう。そして、それは所謂「キャリアを積む」という発想からは、無意味と烙印を押される可能性もあります。「キャリア」という言葉のために自分の直感を殺すことは凄まじく愚かなことと考えます。
よくつかわれる「キャリアを積む」とう言葉に「(大多数の)他人にいかに自分をよく評価してもえるか頑張る」のようなニュアンスを感じ、それに嫌悪感に近いものを感じている私でした。

そして第二に、「キャリア」という言葉が「右肩上がりの経済」を前提としている気がするからです。
そもそも「キャリアを積む」ことを考えられるのも、ある職種において時間とともに経験を積み、その経験に応じて組織の上層に動いていく、というような流れを前提にしているように感じます。
一方、大半の先進国は右肩上がりの成長の時代を(とっくに)終えて、経済も、産業も、我々のビジネスシーンも短期間で予想もしない方向に変わる可能性に満ちています。
そのような環境の中で、従来通り、単線的に分かりやすく経験を積み上げることにどのくらいの意味があるか謎です。それよりも、組織、会社また産業横断的に自分の価値を見いだせる場所を自分で発見し、また自ら創りだし、自分の能力を柔軟に運用していく方が、中長期的にうまくいくし、そもそも満足感も高いと思います。しかし、このような発想は「キャリア」を積むという発想からはでてこないと思います。
「キャリア」という言葉の裏に、何というか、人生の「コントロール可能性」を過大評価しているように思うんですよね〜

まぁ、要はクリエイティビティを感じないわけです笑
色々反論は受けるでしょうが、私はこの違和感を大切にしようと思っています。