マイナスエネルギーコンバーターがあれば人生ほぼ勝ちでないか

人生万事塞翁が馬原理主義者の私、あまり森羅万象に対してビビらないのですが、それでもそれなりに色々あり、心が揺さぶられたりすることもあるものです。
その度に自分の心の「マイナスエネルギーコンバーター」が作動しているか、いつも自問自答することにしています。
怒り、悲しみ、悔しさ、みすぼらしさ、恥ずかしさ、漠然とした不安、等、所謂マイナスのエネルギーは人として生きている限り、一定のタイミングで、一定の量が発生し、人を包み込みます。
仮に万巻の書籍を読破し、人生のなかで怒り得るあらゆる災難に準備をしていたとしても、そのマイナスエネルギーは我々を包み込みます。
そして、その辛さ、苦しみは、自分以外の誰も理解はできません。もちろん共感してくれる方はいるでしょうが、根源的な理解ということでは、結局その苦しみの渦中にいる自分しかわかりません。そして、究極の場面では自分の過去の経験や、今まで積み上げてきたはずの知識ですら無力に感じる時もあります。
しかし、そのマイナスエネルギーからくる辛さ、苦しみは、他の誰も理解できない変わりに、抽象的ないい方しかできないのですが、そのエネルギーの拡散範囲は自分の皮膚から1センチ(←適当な距離感)に留まるのです。本人からは世界全体が漆黒の世界にみえても、結局それはその人の網膜から1センチのところしか届いていないエネルギーなのです。そして自分以外の人は、そんな自分のマイナスエネルギーを受信してくれることなく通常に生活しています。極端にいえばどうでもいいと思っています。
その1センチのマイナスエネルギーをどうするか、それは本当に自分の意志にしかよらない。過去の名著の言葉が背中を押してくれそうなことがあっても、最後の最後は自分がそのマイナスエネルギーをプラスに転化しようとする意志を持てるか、それにつきると思います。過去はもう丸ごと関係ない、今、そして未来に向かってまっすぐ立ち向かおうと思えるか。
もちろん、それを持つことは人から課せられるものではありません。しかし、そのマイナスエネルギーコンバーターを自分で作動されられるかが、人生という長いスパンの生活を送るなかで、極めて肝要なのではと思います。
そして、それを強固なマイナスエネルギーコンバーターを持てば、相当人生は楽に、、というか迷いがなく生きられるのかも、と考えています。