知らず知らずのうちにしてしまう決断の恐ろしさ

本屋さんにいけば「決断力」と名の打った本が山のようにありますが、私的には生活を営む上で決断しない人なんてはいないので、「決断力」なんて言葉は、「呼吸力」とか「瞬き力」とか、生理現象に近いものに無理矢理「力」を付けているように見えなくもないです。

ただ、人生のなかに存在する決断を意識的にしている人と、無意識のまま決断してしまっていることに気づかない人との違いはある気がします。
ひとつの決断をするということは、その決断以外の選択肢を捨てるわけなので、その他決断の存在や、その意味を知らなかったり、意識していなかったりする場合、気付かないうちに色んな可能性を捨ててしまっている場合もあります。

そのケースは千差万別なのですが、私が地元の友達と話していて特に怖いなと思うのは、住宅ローンで家を建てることです。
これって、もちろん数十年に渡って定額の出金が続くことにより、必要に応じたお金の調整ができないことによる機会の喪失、というのが第一義です。
しかし、それよりも住む場所を制約されることにより、雇用の流動化の波に乗って、柔軟な仕事の仕方ができなくなることにより失う機会、というのが強烈な気がします。
私の地元の友達はいい友人で、幸せそうなのですが、ただ直感的な「持ち家がほしい〜」という願望だけでローン組んだりするのですが、それにより失う機会の総量について思いを馳せたりしないのかなとふと思ったりもします。工場で働いている場合、グローバル化で工場移転して仕事がまるごと海外移転した場合、どうするのかなと。。。こんなことが起こるのは時間の問題なはずですが。。。

まぁ、それは一例なのですが、決断というのは極力意識的に決断をすることで、最大量の機会を捕まえ、またいろんなリスクを最小化できる気がします。というわけで、明日からは、コンビニでパンを買う決断をするときも、そのパンを買うことにより味わえない他のパンの味に思いを馳せながら買い物してみてください笑