改めて本を読むことの意義を考える

自分にとっては本を読むことは、呼吸することに近いもので、生活というか生存の一部のようなものなのです。しかし、一方で「本を読むこと」を単純に勧めることもしないし、特定の本を「現代人必読!」とかいって、推薦することは極力しないことにしています(あまりに面白い本を読んで興奮した時は、してしまいますが笑)。
別に本を読まなくても生きていけますし、読んだからといって偉いわけでも、偉くなるわけでもないと思います。

一方、私は広い意味で、人生を楽しむということにおいて、「自分の内なる好奇心を満たす、できれば好奇心を暴走させる」ことはキーになると確信しています。自分の感性が「これは面白い!」と興奮するものを探せるか、そしてそれを追求して自分の好奇心を満たせるか。多くの場合、好奇心は満たされれば満たされるほど肥大化していくものなので、深く追求すればするほど新たな好奇心に火をつけてしまい、無限ループのように続いていきます。そして世の中のありとあらゆるものの中に面白いと思えるものを見出してしまう(←私は今ココ笑)。

私はこのように考えているので、自分より若い世代に何を今すべきか、と聞かれたら、「自分の内から湧き上がる好奇心に素直に耳を傾け、それを満たす経験をしたほうがいいかもしれない」と答えるようにしています。好奇の対象はなんでもいいと思います。企業経営でも、地球科学でも、トックビルでも、マックスウェーバーでも、吉田茂でも、飛田新地でも、アニメでも。自分が直感的に面白いと思える対象がある限り、ひたすら追求を続ける。

そして、何か一つのテーマについて自分の好奇心に基づいて深く追求するにおいて、本の情報の質+量というのは、他の追随を許さないと思います。
直感的にピンとくるかと思いますが、本って書くのは本当に大変です。そもそも文章書くのって面倒くさいし、自分の名前が載るし、下手なことを書いたら、未来永劫汚名が残ることになります。よって、本の著者はそれなりの覚悟をして書いているわけで、これが本の情報が一定の質が保たれる仕組みになっています。

よって、本の質の高い情報を用いて自分の好奇心を満たし続けることは非常に効率的なので、その意味での読書なら大いに勧めることにしています。そして、私にとっても本を読むことの最大の意義はこれです。ただ単に好奇心を満たし続けること。
だから、適当に大型書店でブラブラして、並んでいる本のタイトルを観ながら面白そうな本を直感的に買っていく。この時、自分の専門性や経験など全無視です。面白そうと思えばなんでもいいでしょう。誰かのマネをする必要はありません。人によって面白いと思えるものは本当に違うのですから。読むか読まないかも買ったあとの直感に任せてもいいと思います。とりあえず自分の好奇心の赴くまま本を使って好奇心を満たし続ける。。。
そして、いかに柔軟に、先入観にとらわれず自分の好奇心を満たし続けることが、所謂「創造性」に繋がってくると直感しています。