クリエイターがクリエイティブでなくなるタイミングについて

ここでクリエイターとは、新しいものを創造することを生業とする人、全般を指すこととします。
超大胆、かつ超失礼な仮説を立てたいと思います。ファンの人、すみません。事前に謝らせていただきます笑

例えば、ミュージシャンの方。私が大好きなMr. Childrenは「Tomorrow Never Knows」でピークアウト(=ピークを過ぎるということ)、Globeは「Departures」でピークアウト。浜崎あゆみさんは「Seasons」でピークアウト、Exileはおそらく「Lovers Again」でピークアウト。AKB48もおそらく「ヘビーローテーション」あたりでピークアウト。
何がいいたいかというと、ミュージシャンだけでなく、どんな素晴らしいアーティスト、クリエイターの人も、ピークを越える瞬間が来る(ことがめちゃめちゃ多い)ということです。

その理由として、一般的には「才能が枯渇した」等言われますが、私はまったくそうは思いません。そもそも一発でもヒットを飛ばせるだけでも超才能があると思います。

私はその理由をずばり「幸せになってしまったから」と考えています。
例えばミュージシャンの方はヒットを飛ばすことにより、下積み時代とは比べ物にならないくらいの経済的余裕ができます。知名度は全国に広がり、その才能に対するありとあらゆる賞讃が寄せられます。
そんな状態におかれたら普通の人なら、幸せを感じてしまいます。
精神的に充足されたといっても、当然ミュージシャンの方は今まで通り必死で創作活動を続けておられるでしょう。ただ、何か心の底から突き上げられるものがなくなってしまったことを感じていたりする→なかなか自分が納得するヒットしそうな曲が生み出せない。。そんなケースは割と多いのでは、と勝手におもっています。
浜崎あゆみさんやAKB48は、当然アーティスト本人が創造の中心にはいないと思いますが、「プロデュースする周りの人たち」と主語を置きかえれば同じことだと思います。

私は頑張ってこられた方々が「幸せを感じること」は素晴らしいことだと思います。よって、鑑賞者としては、その栄枯盛衰も含めて創作物を楽しむ、という姿勢が正しいのだと思います。「才能が枯渇した」なんてコメントは野暮中の野暮でしょう。

一方で、クリエーターの一部には、創造的活動により、嘗て存在しないものをこの世に生み出すことそのものが好きで仕方がない人がいます。
その人達は、自分の感性にしたがい、自分の衝動と乾きに動かされて、ひたすら創造に励みます。
今ふと思い浮かぶのは、ピカソ手塚治虫、、、そしてもしかしたら小室哲哉そうじゃないか。そうであることを願っています。