外国語で本を読むことについて

今日は、私もまだ考えがまとまりきっていない、ちょっと抽象的な話を。
私は18歳の時にフランスに渡り、向うの大学に入学しました。卒業後、帰国して日本で働いているのですが、もちろん、仕事で多少英語は使うものの、生活するには日本語で充分です。

私は、「読書=呼吸」という感じで本を付き合っているのですが、英語とフランス語で書かれたものに関しては、原著で読むようにしています。
実は、これ、本を多読する習慣がある人にはかなり効率が悪いです。
日本語なら斜め読みするだけで、ざっと大枠を掴めるのにそれを放棄しているわけです。
しかも、日本の出版界は翻訳文化もしっかりしていて、大体の著名な書籍が翻訳されないことはない、しかも翻訳の質も高いので、本当に海外の出版物から「短時間で質の高い情報を得る」という目的では、原著を読むことは極めて非効率なわけです。

このようなことを充分踏まえた上でも尚、私は原著を読んでいこうと思います。
その理由の一つに勿論、外国語のスキルを高めておきたいという下心はあります。
実はそれが最大の理由ではありません。
それよりも私が原著を読む理由が、「原語の音感を楽しみたい」からです。

幸い私は若くして、フランス語、英語、そして日本語という3つの言語を学ぶことができて、それなりに理解ができるようになりました。
それら3つの言語に触れるなかで、各言語の音感の違いに魅せられました。
多分、2カ国語でなく3カ国語で、英語⇔フランス語という外国語同士も比較できたのも、その感を強くしていると思います。

そしてさらに、その音感の違いによって、同じ情報でも若干受ける印象が違うような気がしています。
著者って、「言葉で文章を組み立てて意味を伝える」と同時に、各言葉の音感も含めて表現としている気がします。抽象的ですが、各言葉が「音符」として音感を伝えるようなイメージです。だから、文章にも音楽的なイメージがあって、それがニュアンスを補強する、ような。。
まぁ、もちろん音読するわけないですが、黙読していてもある程度は頭の中で音を出している気がしますし、強ちこのような感覚に同意していただける方もいるのでは、、と勝手に思い込んでいます笑
このように、著者の表現を多面的に捉えるのが楽しいので、私はこれからも極力原著を読み続けようと思っています。