「あまちゃん」、、やはり可愛いモノには濁点いらないのか

今日、「赤ちゃん」と呟くことがあったのですが、「あかちゃん」って言葉、音質的にも本当に可愛さを秘めている言葉だな、とふと思いました。
そこで思い出したのが、先般大ヒットしたドラマ「あまちゃん」(安易すぎ。。。)。
例えば、これが「あばちゃん」までいかなくとも「座間(ざま)ちゃん」(←在日米軍基地をめぐるストーリー?)とか、濁点がついていたら、ちょっと可愛さ半減な気がします。マジで名前変わっていたらヒットしていなかった可能性もあると思っています。

逆に、存在感を押しつけたいものには、悉く濁点をいれるのが正攻法のようです。
ゴールドマンサックス、モルガンスタンレー半沢直樹、グーグル、ロスチャイルド、、然り。まぁ、よく言われる話です。
一方、Twitterは、濁点のないこの名前が、水のように空気のようにツィートが流れる様子を表現していると思います。iPhoneも存在感なく人々が携帯できる端末(不要な存在感なく)ということで、濁音はありません。

そこでふと思ったのが、ウエアラブルデバイス
これはまさに体と一心同体になるわけなので、存在感はいらないというか極限まで存在を消すことが重要となります。ということは、その名前には濁点はいらない!
ということで、Google Glassは名前が微妙!

というわけで、やっぱり名前をつける対象のコンセプトによって、名前の音感を変える方がよいのでは、というお話でした。