「長いメールを書く人」の背後に隠された心理

今、仕事をしている人で、まったくメールを打たなくてもよい、という人は稀かと思います。
オフィスの自席から、また移動中に情報端末から、それぞれ色んなスタイルでメールを使ったコミュニケーションをされていると思います。そして、メールがもたらしてくれた恩恵を考えると、もはや、メールなしの生活は考えられないと思います。

そんななか、メールがめちゃめちゃ長い人、いませんか?
日報や各種報告について、大量の文章で情報量を詰め込んでくる人。

一見、「入手した情報を詳細に報告する優秀な人」のように思えます。
私は違うニュアンスを感じています。

それは「口頭コミュニケーションを避けたい人」です。

組織の情報交換の理由は、情報共有して意思決定の精度を高める、ということです。
例えば日報を書く理由は、営業が現場でとってきた情報を共有し、フィードバックを得て、次の営業に活かすためです。
しかし、長い文章で日報を書くとなると、その日報を書くのに時間がいる、そして、その日報を読むのに時間がいる、と二重で手間がかかってしまいます。

一方、組織で働いている場合、情報交換の手段は口頭(電話or直接等)という手段もあるわけです。
「情報交換して(その場)で決断する」だけであれば、数秒から数分で終わってしまいます。
他方、日報を書いて、読ましてとしていたら数時間はかかってしまうでしょう。

結果、あくまで情報共有の目的が次の判断の精度を高めるということであれば、長い日報はただの時間の無駄ということになります。

ま、実際は長い日報を送られた側は、全然読んでいないと思います。
もちろん、顧客情報のデータベースとして詳細に書きたい、という気持ちは分かりますが、それであれば、日報なんてフローのフォーマットに書かず、きちんと情報をストックできるエクセル等のフォーマットに書くべきでしょう。

こういうことは皆うすうす感じているものです。
しかし、なぜ言い出さないか。
それは対面コミュニケーションがそれなりに煩わしいからだと思います。
緊張もするし、何をどの順番で、どのように話すか等、プレゼン能力も求められる。
その煩わしさを、意識的、また無意識的に避けている。
メールを長い文章で書く人の言動に、私はそんなニュアンスを感じます。

よって、長く詳細なレポートをメールで書いてくる人には注意が必要です。
もし本当に対面コミュニケーションを避けている形であれば、それはリーダーがイニシアティブをとって、口頭による対面コミュニケーションの場をつくり、運営していくべきでしょう。